壮絶な介護で母は泣いていた 在宅介護の現場を考える|みんなの本音⑦
2019/07/11
壮絶な介護。最近ではテレビなどで紹介されるようになり介護経験者でなくも介護の現実を知るようになりましたが、まだまだ人知れずたくさんの方が泣いている現実があります。
介護で家庭崩壊しかけ施設に入れることで生気を取り戻した方、自分を犠牲にした介護を経験した方の意見をご紹介します。
母の介護は壮絶 泣いているのを見たことがある
私の祖父は脳梗塞後に左半身麻痺となり徐々に認知症になりました。母はそんな祖父を8年介護していました。
私の父はサラリーマンですが仕事を理由にほとんど母に任せきりでした。したとする仕事は土日に父をお風呂にいれるくらい。
祖父は認知症特有な徘徊、健忘、発狂をし、母の介護は壮絶なものでした。母が泣いているのも見たことがあります。
そんな母をみて、血の繋がっていない人をそこまで自分を犠牲にしてみていく必要があるのだろうかと私もくやしかった思いをしたことを覚えています。
そんな中、介護サービスが始まりました。デイケアやショートサービスなどが以前より楽に使用することが出来、母は少し楽になっていきました。
施設なんかいれて、と言う人は言うでしょう。ただ介護をする家族にも生活があります。人生があります。そういうサービスは利用してもいいと思います。
私はいま、アメリカに住んでいます。アメリカの高齢者は自宅介護は日本ほど活発ではありません。
各々がいい意味で自立した考えをもち、施設に入る、入れる、の選択があるからです。また、無理やり生かすことはしません。
日本のように植物人間の状態で面倒をみるということはしません。医療費が高いということもありますが、生きるとは何か、ということの価値観をしっかりもっているからです。
もちろん、日本のように心臓が動いている限り面倒みる、という愛情は素晴らしいと思いますが、それが本人が望んでいることなのかを少し考える機会を作る必要があるのではないかと考えます。
自宅介護がいいのか、施設介護がいいのか、最期はどう迎えたいかを本人と家族が元気なうちに相談して話し合うことが大事なのだと思います。
私はその双方が出した結論で進めていく介護が1番だと思います。もし私の母と父、祖父が昔昔に介護に対する話をしっかりとしていれば母も気持ちが違っていたかもしれません。
40代女性 月額12万まで
介護で家庭崩壊状態 施設に預けてスッキリした顔に
50代女性です。私の住む地域でも高齢化が進んでおり、もはや介護の問題は他人事ではありません。
長きにわたってお付き合いのある知人の様子が、今年はどうもおかしい、と思っていたところ、翌年に痴ほう症になった実母の自宅介護で、奥様と兄弟を交えた家庭崩壊状態であったことを打ち開けられました。
早くに父親を亡くし、仕事だけでなく社会的な支援活動もされていた苦労人のその方の退廃ぶりは、この人こんな人だったかしら?と思うほどでした。
スッキリとそして今までより重厚な面持ちで現れたその方は、その問題を介護施設に預けるという事で解決されたのだそうです。
入居費用は、月4万位から45万まであるのだそうです。一時的な長期入院でないことから、月10万以下の予算でないと難しいのではと思われました。
個人的には、介護施設を利用する本人の状態にもよりますが、自宅に引きこもらず社会との接点を持つという意味で、学校のように学び訓練し、成長する場所であれたら介護職として働く人たちと利用者側双方に良い影響があるのではと考えています。
自宅で面倒を見たいが実際には不安 いざというときのために貯金
私の両親は、父は他界し、今は母のみなのですが、そんな母も今年70歳を迎えました。
一緒に住んでおりまだまだ元気ではありますが、妻とは真剣に今後起きるであろう母の介護の問題について話をしています。
母の性格のことを考えると、老人ホームに預けるのではなく自宅介護をしていきたいと考えています。
しかし、在宅介護の場合、どうしても妻に負担がかかってしまうし、私も仕事に出なければならないし、認知症などになってしまった場合は、老人ホームに預けることや介護施設へ入院も視野に入れなければ現実的に厳しいかもしれません。
私の周りの同僚や同世代の友達も上記のような私とほとんど同じ考えで、自宅で面倒を見てあげたいけど実際には不安で仕方がありません。
今はしっかりと働いて、いざという時のために貯金を作っておこうと考えております。
認知症が進むと介護が重くのしかかり、自分が精神的におかしくなりそうに
親父が認知症になり始めた頃、同時に病に冒されてからこの世を去るまである程度の介護の経験をしました。
初期の頃は身内が代わる代わる交代で介護をしていたのですが、結果的に一番近くに居住していた私がかなりの度合いで介護をすることになりました。
最初はそんなに負担とも思わなかった些細な介護作業も、親父の認知症の度合いが増すごとにどんどん重く圧し掛かり、このままでは自分が精神的におかしくなりそうだと思い始め、途中から介護認定を受け、在宅ケアの介護師さんに来て頂くという流れを経ました。
もちろん親父にしてみれば病院や介護施設に入ることなどもっての他という頑固な考えだったのですが、無条件に介護せざるを得ない状況となる身内にとっては体力的、精神的な負担は想像を超えたものであるということを介護する身になって初めて理解しました。
これから先の自分も含めて、やはりやがて死に行く者の希望を叶えてあげたいと思うのは当然のことなのですが、自宅介護の限界というものは痛切に感じました。
周りの人間の負担を軽減する為の1つの方法として、老人ホームや介護施設への入所という選択肢は考えなければならならいことだと強く感じます。