お金では解決できない在宅介護の現状 芸能人の親の介護
他人事でなかった『介護殺人』の言葉の怖さ
介護の大変さは、経験した人でないとわかりません。最近は、芸能界でもご両親の介護を経験され、その現状を語っている方が数多くいます。
「他人事でなかった『介護殺人』」という雑誌タイトルを見つけましたので紹介します。
この記事は、週刊新潮の2017年4月6日号に掲載されていた記事で、親を介護した経験をもつ芸能人の方がその苦労や経験をまとめたものでした。
紹介されていたのは、橋幸夫さん、安藤和津さん、荻野アンナさん、安藤優子さん、生島ヒロシさんの5人です。
いずれも芸能界の第一線で活躍されている方ばかりで、経済的な余裕も一般的な私たちとは桁外れに違います。
「介護はお金さえあればなんとかなる・・」という思いのある私たちにとって、高額所得者の方が介護で悩むなど想像もしていませんでした。
そんなこともあり、「他人事でなかった『介護殺人』」というタイトルは、あまりにも衝撃的でした。
安藤優子さん30秒に1回用もないのに呼ばれる辛さ
ニュスキャスターの安藤優子さん(58)は、認知症の母を10年間にわたり介護した経験者です。89歳で亡くなった母親に認知症状が出始めのは、73、74歳の頃だったそうです。
当初は、お父さんが(10年前に他界)が面倒を見ていたそうですが、お父さんが亡くなってから、安藤さん、お姉さん、ヘルパーさんの3人体制で自宅介護を始めました。
しかし、ヘルパーさんを雇っても雇ってもお母さんが次々に辞めさせてしまいます。
そのため、週末に都内の自宅から埼玉の実家まで1時間半かけて戻り、母の介護、1週間の食事、飼っていたイヌの糞の処理をしていたそうです。
一番つらかったのは、30秒に1回用もないのに安藤さんの名前を呼ぶことだったとか・・。
毎日ヘトヘトで、「何もかも放り出したい」と投げやりの気持ちになったそうです。
生島ヒロシさんは6人体制で認知症の義母の介護
フリーアナウンサーの生島ヒロシさん(66)は、認知症になった義母の介護を8年間続けたそうです。
生島さんの場合は、奥さん、義妹、義弟、息子、ヘルパーさんを加え、6人でチームを組んで介護にあたったそうです。
夜になると「トイレ」や「足が痛い・・」と1時間のうちに何度も起こされ、家族の体力が限界になってしまったとか・・。
奥さんは「ママが死んでくれたらいいのに・・・」と何度も思ったそうです。
父と心中しようと思った荻野アンナさん
作家の荻野アンナ(60)さんは、父親の介護に15年、母親の介護に20年を費やしました。
父親の介護では、リハビリ病院へ入院しても騒ぎを起こし即退去させられてしまう父親の病室へ、カッターナイフを買っていったそうです。
『世界中で私以外にこの人の面倒を見られる人はいない。だから、責任をとって心中しよう・・』という気持ちだったそうです。
家族に迷惑をかけたくないから施設に入りたい 私の母の場合
89歳になる私の母は、施設に入って6年目になります。ひざが痛いものの、2011年の震災までは杖をついて歩いていました。
しかし震災のショックからか、まったく歩けなくなってしまいます。兄嫁の世話でなんとか生活していたのですが、その生活も3ヶ月で限界に達してしまいました。
一番の悩みは生島さんのケースと同じくトイレです。母は、トイレに行くのに誰かに頼らざるを得ず、いきたくなると兄嫁を起こすようになりました。
高齢のため一晩のうちに、2回も3回もトイレに行きたくなり、その都度兄嫁は体重の重い母を支えてトイレの世話をしていました。
母は認知もなく意識もしっかりしていたため、そんな兄嫁を気遣いトイレを我慢するようになりました。
とは言え、我慢には限界があるので最終的にはオムツをつけるようになりました。
しかし、そのオムツ替えさえも家族に頼むのは申し訳けないと思うようになり、自ら「施設に入りたい・・」といいだしたのです。
政府のすすめる在宅介護は理想論
遺族年金として13万円もらっていた母にとって、お金と代替えにサービスを提供してくれる施設の方が、家族に頼むより気が楽だったのです。
田舎だったため介護費用全部入れて13万円で対応できる施設が見つかり、今母はそこで生活しています。
政府は在宅介護を進めていますが、介護の現場はそんなに甘くはなく、できない事のほうが多いが現状です。
また、それができたとしても、介護する側の身体も精神もボロボロになってしまいます。
今、平均寿命はどんどん伸びており、施設に入って何年生きていくのかわかりません。
だからこそ、年金の範囲内で生活できる介護施設が、もっともっと必要なのだと思います。
ここでは、年金の金額が収まる施設、少し足せば入れる施設をまとめていますで、ぜひ参考にしてください。